【巌流島の戦い】宮本武蔵VS佐々木小次郎の噂を大解剖

巌流島の戦い

江戸時代初期1612年5月13日、宮本武蔵VS佐々木小次郎による巌流島の戦い。歴史に少しでも興味がある人であれば、誰もが知る歴史の一つですよね。この歴史には、闇の部分が多く、史実かどうかすら怪しいと考える説もあります。

 

この戦いの記録は、150年後に書かれた『二天記』に残っている。しかし、記録が作られた時代にズレがあり、巌流島の戦いが史実であるのか、歴史の闇に葬られた。最も信ぴょう性の高い歴史をまとめていきます。

 

そもそも巌流島はどこにあるの?

巌流島

巌流島は、山口県下関市にある無人島です。下関は、ロシア戦争終結の下関条約を結んだ場所としても有名。山口県と九州の間にある無人島、と思い浮かべると分かりやすいです。下関の陸地から400mしか離れていなかったので、決闘の場所に選ばれたのでしょう。面積は小さく、東京ドームよりも小さいです。ちなみに、現在の巌流島の正式名は「船島(ふなじま)」です。

 

なぜ巌流島の戦いになったのか。佐々木小次郎の出身が福岡県(豊前)、宮本武蔵の出身は兵庫県(播磨)にあると考えられています。残念ながら、有力な情報がないので、理由は解明されていません。

 

【結論】巌流島の戦いの勝者は誰か!?

 

勝者がどちらなのか、意外と有名ですよね。どちらも武士であり、刀の達人。ライバル同士、互角の戦いを見せたかもしれない。ただ年齢の差が大きかった。宮本武蔵が20歳、佐々木小次郎が60歳だったらしいのです。

 

同等の技術を持っていたとしても、ぼよぼよの60歳では身体能力で分が悪い。当然のように勝者は、宮本武蔵。

 

宮本武蔵と佐々木小次郎の戦い

 

そもそも巌流島の戦いが史実なのか怪しいので、話半分で読み進めてほしい。これからの話は巌流島の戦いがどのようなものであったのか説明していく。他のネット情報にも載っているようなたくさんある情報をわかりやすくまとめました。これであなたも巌流島の戦いマスターになれるでしょう。

 

宮本武蔵が決闘に遅刻は、嘘

 

通説では、巌流島の戦いを優位に進めるために、宮本武蔵が遅刻したと考えられています。予定の時間よりも遅く巌流島に到着して、佐々木小次郎の集中力を欠こうという戦略らしいです。

 

この場面がドラマに登場しましたが、信ぴょう性の書物には宮本武蔵が遅刻したなんて記録はありません。江戸時代に流行った歌舞伎などでお話を面白おかしく作っているので、その影響を受けてドラマが作られています。そもそもこのような記録でないと、巌流島の戦いを表現できません。それが最大の理由だと考えられます。

 

佐々木小次郎にトドメをさしたのは、弟子たち

 

これは巌流島にいたとされる門司城代だった沼田延元の子孫が書いたらしい書物の情報です。歴史マニアたちの間では、「これが一番信ぴょう性があるのでは?」と言われているのです。通説であって、史実ではないので注意が必要です。

 

・宮本武蔵と佐々木小次郎はお互い弟子を誰一人連れてこないで戦う約束をした

・一騎打ちで宮本武蔵が勝利

・実は、宮本武蔵は隠して弟子たちを島へ連れてきていた

・佐々木小次郎は、弟子たちに袋叩きにされて打ち倒される

 

そもそも佐々木小次郎との戦いがなかった

 

これは、巌流島の戦いが宮本武蔵の「五輪書」に佐々木小次郎が登場していないのが理由です。「五輪書」といえば、兵法の極意が書かれた本であり、自伝でもあります。それに第決闘といわれる「巌流島の戦い」が何も書かれていません。

 

この影響で「巌流島の戦いは創作、佐々木小次郎は実在の人物ではない」と考えられています。

 

巌流島の戦いに勝利した宮本武蔵とは何者

宮本武蔵

巌流島の戦いで有名だが、どのような人物なのか知らない人が多いと思います。剣術家で刀を2振りも使う二天一流兵法の開祖。ビジネス書として海外に翻訳して広がっている「五輪書」があります。

 

最強の剣豪

 

宮本武蔵は最強の剣豪の一人と言われています。強さのレベルを測るデータとして、「五輪書」には、20代の間で60回戦ったと記述があります。決闘で負けたことがないとも言われています。

 

伝説として、吉本一門70人と戦い勝ったとして語られています。これには諸説あり、多くの資料には、それらの事実は記されていません。ドラマや小説、漫画などの宮本武蔵は、かなり虚構が入っているようです。

 

巌流島の戦いにも、多くの脚色が加えられています。剣豪・宮本武蔵が伝説化した結果の産物として、巌流島の戦いが作られたとも考えられます。

 

佐々木小次郎とは何者

佐々木小次郎

巌流島の戦いで負けてしまった佐々木小次郎。有名な「燕返し」という必殺技がありますが、まだまだ謎に包まれている人物です。しかも敗者なので、弱い印象もあります。

 

佐々木小次郎の剣術は初め、安芸国の毛利氏に仕えていました。その後は武者修行のため諸国を回ります。越前国(福井県)に立ち寄った際に、一条滝で会得した技が秘剣「燕返し」だといわれています。

 

燕返しがどのような技であったのか。その詳細が分かる情報はない。有力な説は、「虎切り」という剣術がモチーフになっていると言われている。大太刀という刀身の長さが三尺(約90cm)以上の太刀を用い、相手の間合いの外で振り下ろす。そこで相手は間合いに入ってくるので、振り下ろした刀を瞬時に返して切り上げるというものだ。当時の防具は「上からの打撃・斬撃」には十分に考慮された形だったが、下からの攻撃には無防備だった。

 

この技は、ただでさえ長くて重い太刀を、瞬時に切り上げるだけの腕力が必要であり、そのことから小次郎がいかに腕利きの剣客だったかがわかる。なお、技の名前についてはその動きが燕が地面を掠め飛ぶ様を連想させるから付けられたものと思われる。

 

まとめ

 

巌流島の戦いが思い浮かんだでしょうか。宮本武蔵と佐々木小次郎の人物像が分かるので、戦いの風景が思い浮かんだことでしょう。多くの噂や通説がありますが、どれも史実に近い情報がないことは肝に銘じておいてください。