【常識】コミュニケーションの定義を知ってる?

定義

コミュニケーションの定義とは何か、と質問されて、あなたは答えることができますか? 話し方や聞き方、人間関係を円滑にするための能力、これらを総合して、コミュニケーションと答える人が大半でしょう。

この回答では、70%でしかありません。限りなく惜しい。残りの30%はコミュニケーションの本質となっており、誰もが知っているはずなのに、誰も教えてくれない。なぜなら、その本質は人生に直結しており、簡単に理解できることではないのです。しかも誰も定義について規定したことがありません。ありきたりすぎる定義だったので、誰も規定しようともしなかったのです。

本気でコミュ力アップをしたい人であれば、定義を正しく理解してください。なぜそう定義されるのかを理解することによって、コミュ力が劇的に向上していきます。

一般的なコミュニケーションの定義

定義

今や企業が学生に求める一番のスキルが、コミュ力。人材系企業DISCOが2015年に調査した「企業が学生に求める資質」について、ダントツ1位がコミュニケーション能力です。なんと77.5%という圧倒的に、世の中から求められています。ちなみに、2位は協調性。これも一種のコミュニケーションとも言えるでしょう。けれども、どちらも明確に定義されていません。だから、ウィキペディアなどを利用して、定義を規定していきたいと思います。

ウィキペディアによる定義

コミュ力

世の中から求めるコミュニケーション能力でありますが、一般的な定義を教えてくれる人がいません。そこで世界的に有名なウィキペディアから定義を引っ張ってきました!!

―――――――

「コミュニケーション」という語は多種多様な用いられ方をしている。辞典類ではまず、人間の間で行われる近く・感情・思考の伝達、などといった簡素な定義分が記載されている。ただし、上記のような定義分では不十分で、一般に「コミュニケーション」といのは、情報の伝達だけが起きれば十分に成立したとは見なされておらず、人間と人間の間で、《石の疎通》が行われたり、《心や気持ちの通じ合い》が行われたり、《互いに理解し合う》ことがおきて、はじめてコミュニケーションが成立した、といった説明を補っているものもある。

―――――――

簡単な定義を載っていましたが、分かりやすい内容とは言えない。世の中でも、このようにあいまいな定義でコミュニケーションが利用されている。これでは、話し方や聞き方の意味がまったくわからなくなってしまう。

なぜコミュ力が必要とされているのか、なぜ必要になっていったのかをこれから説明していきたいと思う。そのためには、時代をさかのぼらないといけない。

コミュニケーションが必要になった時代とは?

コミュニケーション

私は科学者ではないので、どの時代でコミュニケーションが発生したのか、明確の説明ができるわけではない。けれども、大体の時期や必要性ならば、私にも定義できる。

人間の話や聞き方の能力を説明する前に、犬や猫などの動物にも話や聞く能力があることを知ってもらいたい。犬や猫は、吠えたり、しっぽを振ったりして、他者に情報を伝えている。吠えていれば敵への威嚇であったり、物欲しそうな声をしていたりするとご飯をねだったりしている。犬や猫に限らずに、このような振舞いをする動物はたくさんいる。

動物のコミュ力

動物の振舞いは、一匹では生存できない現実を物語っているのだ。

想像してください。犬がたった一匹で自然を生きられるだろうか。数匹で群れていないと、大型動物の餌食になる。そして、大型動物から逃れるためには、吠えたりして情報を伝達して、敵がどこにいるのかを仲間に伝える。これが、人間におかえる会話だ。

その他にも、ご飯をねだる声を出さないと、犬は餓死する。一匹でも仲間がかけてしまうと、それだけ大型動物に捕食される危険性が増してしまう。仲間どうしで協力して、生き残るために、コミュ力が必要不可欠。

お分かりでしょうか。もし一匹の犬にコミュ力がなかったとして、一匹が勝手に餓死したとしたら、その生き残った犬には大型動物の食料になる未来しか待っていないことを示してしまいます。生き残るために、動物はコミュニケーション能力を持っているのです。

原始時代にもコミュ力は必要だった

大昔の人間は現代のように、前提として生存は確約されていません。さらに、食料もコンビニ行けばあるのではなく、自力で食料を確保しないといけない現実があります。こ過酷な状況下で人間は1人で生きられるでしょうか?

もし10人単位の人の集団・コミュニティーから嫌われてしまえば、その人間は1人で生活を営まないといけない。あなたは原始時代に1人で生きられる自信がありますか……。現代ならばいざ知らず、原始時代では数日も保たないで餓死、もしくは大型動物の餌食。

要するに、生きるために絶対必要

集団・コミュニティーから抜けたら、すぐ死ぬ時代では、人間のコミュニケーション能力は非常に高い水準であった。常に死と隣り合わせなのだから、コミュニケーション能力が高いのは当然だ。

現代になって、コミュニケーション能力が劇的に低下

概念

原始時代から現代(西暦2000年代)になってから、急激にコミュニケーション能力が低下している。インターネットが発展した結果、コミュニケーションをとらなければならない必要性が劇的に低下してしまったのだ。

電話が世の中に現われてから、一人一台のスマートフォンか携帯電話を持つ。電話によって、長距離を移動しなくても会話ができる環境があり、今ではラインなどで文章だけでコミュニケーションが成立してしまっている。しかも大半のコミュニケーションがSNSに侵食された。

文章だけのコミュニケーションだけとなった結果が能力の低下なのだ。

電話であれば、声のトーンや口調で相手の感情が理解できる。けれども、文章になると簡素な感情しか表現できない。お手軽なコミュニケーションの結果、深い関係を構築するためのコミュニケーションが欠如してしまった。

今だからこそ必要なコミュ力

今のコミュニケーションの問題を象徴するように、家族の形態が核家族化している。特に家族間のコミュニケーションは、例外があったとしてもほぼ確実に死ぬまで続く。そんな煩わしい関係を続けるのなら、離れて暮らす方がよっぽど精神的に楽だ。そして、地元に仕事がないことも手伝って、親から離れる子が多くなる。

親とのコミュニケーションが親密ではない人に、元々は何も関係のない他人とのコミュニケーションが親密になるのだろうか?

趣味や趣向が似ていて、気が合う仲間であれば、親密な関係を築けるだろう。けれども、気の合わない相手、例えば、親たちと仲良くできない人であったら、その他大勢とは親密なコミュニケーションが取れない。それが、現代の人々の根底にあるコミュニケーションなのだと思う。

仕事では気が合わない人が大半を占めるだろう。その人となんとなくの表面的な関係は築けると思う。それでは、ただ単に単純作業をしているに過ぎなくなっているのだ。そこで、気が合わない相手だとしても、長年の友人と同じように接することができるコミュニケーション能力を持つ人がいたら、あなたはどう思うだろうか?

誰からも好かれる人になる、とまでは行かないにしても、誰からも求められる能力を持つ人としては見られるのではないだろうか。

まとめ

定義

結局のところ、定義は「コミュニティーに溶け込むための関係作り」。原始時代では、そのコミュニティーに居られなくなってしまうと、死を待つしかない。この定義が証明されているように、現代ではコミュニティーに参加しないでも、生きられる。だから、人々のコミュ力が低下している。これで定義が証明された。

現代も同じでお金を儲ける人には、儲ける人のコミュニティーがあり、その環境に適したコミュニケーションがある。その環境に似合った話題や話し方など、コミュニティーに溶け込むのに必要なのが「コミュニケーション」なのだろう。そして、それが定義になっている。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。